枚方市・宮之阪の整体は「大黒整骨院」つらい症状を根本改善

院長プロフィール

院長紹介大黒 充晴 
(おおぐろ みつはる)

昭和58年(1983) 7月20日 生まれ ( かに座・O型 )

大阪市港区出身、身長165cm 体重62kg

 

 

経歴

平成 8年 大阪市立 池島小学校 卒業

平成11年 大阪市立 港中学校 卒業

平成14年 私立大阪工大高校 (現在の常翔学園) 卒業 [ラグビー部所属]

平成14年 大阪医専アスレティックトレーナー学科に入学。

平成15年 アムス柔道整復師養成学院に入学。

平成18年 アムス柔道整復師養成学院を卒業。国家資格 柔道整復師 取得

平成15年から平成22年7月まで知識・技術向上のため、整骨院で約7年半修行した後、

平成22年8月に『大黒整骨院』を開院し、現在に至る。(業界経験14年以上)

 

 

自己紹介ストーリー

なぜ、治療家になろうと思ったか?①なぜ、治療家になろうと思ったか?

私は、大黒充晴と申します。年齢は、昭和58年7月生まれの34歳です。私がなぜ治療家になろうと思ったかと言いますと、小学生~高校生までお世話になった整骨院の先生に憧れたことがキッカケです。私は、小学生低学年の頃は医者になりたいと思っていました。父をガンで早くに亡くしていることがキッカケだったかもしれません。病気の人を救いたい、それがいつしか身近に接する頼れる整骨院の先生への憧れに変わっていきました。

私のスポーツ歴は、小学校では剣道(初段)、中学校では軟式野球、高校ではラグビー(3年の時に全国3位。←私は補欠でした(笑))をしておりました。専門学校時代、社会人になってからもクラブチームでラグビーを続け、計10年以上ラグビーをしていたことになります。これだけのスポーツ歴がある分、ありとあらゆる部分をケガしました。(経験していないのは、脱臼ぐらいです。ちなみに1番痛かったケガは肉離れです。重度の肉離れはホンマに痛いです。骨折より全然痛かったですね。)ケガの経験が豊富ということは、もちろん治療院への通院経験も豊富です。小学生の頃より、整骨院などでの治療はかかせませんでした。そんな経験から、高校卒業時に進路を考えた時、自然とあまり意識することなくこの道に進みました。それは、これまでの経験・想い・夢や憧れなど、様々なことがリンクする形で自然とこの世界に入ったのだと思います。進路を決める際に、この先なにをしよう?と悩んだ記憶はありません、自然とこの道に入っていました。

それから14年以上、同じ道、治療家としての道を歩んでいます。これからも変わることは考えられません。自然と入ったこの道、ずっと続けているこの道。自分にとってこの仕事が使命だと感じ、これからもこの道を究めるべく突き進んでいきます。そして、本当にお体で悩んでいる患者さんの望みや希望を叶えるために全力でサポートしていきます。

 

その過程で苦労したことは?②その過程で苦労したことは?

最初、私はスポーツトレーナーの学校に通いスポーツ選手をサポートしたいと思っていましたが、その学校に通いながら整骨院でアルバイトをしていました。整骨院での勤務を続けるなかで、スポーツ選手のパフォーマンス向上を目指すより、もっと普通の生活ができていない体のどこかを痛めて、健康的な生活が痛みなどの原因でできていない人を救いたいという思いに目覚め、昔の整骨院の先生に対する憧れの気持ちもリンクして、おもいきってスポーツトレーナーの学校を中退し、整骨院の先生になるべく国家資格を取るために再度、専門学校に入りました。その時の生活は、朝働いて、昼の三時間だけ学校に行き、夕方から夜にまた働く。その生活を月曜日から土曜日までやっていました。仕事から帰って勉強、日曜日は治療の勉強会と忙しい日々を過ごしましたが、仲間や先輩にも恵まれ、本当に楽しい思い出です。その時の仲間や先輩とは今も会う仲で、良い刺激をいつももらっています。

そして、最初に働かせて頂いた整骨院を4年半で退職し、さらに自身の成長を目的として新たな整骨院で働き始めました。その2院目の整骨院での経験は、本当に大きいものでした。治療の考え方、基礎から生理学・解剖学などの勉強をすることの重要性、栄養学の大切さ。ただ痛みを取るということだけではなく、人として健康に人生を生きていくために大切なことを学ばせて頂きました。今でもそれが財産となって、今の自分の治療の考え方・基礎の部分をつくっていただきました。

そして、その整骨院を7年半で退職し、独立しました。独立後2年目で、今の師匠にあたる2人の方に出会います。本当に出会いに恵まれています。現在の治療技術・経営者としての考え方などは、そのお2人に学びました。今でも継続して学ばせて頂いています。こうして振り返ると様々な良い出会いに恵まれました。そして、色々な面で今まで自分がやってきたことが形になりつつあります。夢・目標は大きく、行動は一歩一歩確実に前進していきます。

 

苦労して得たものは何?③苦労して得たものは何?(成功体験)

今までの人生で、色々な経験を通して様々な学びがありました。

高校時代:

高校時代は、ほぼラグビーと筋トレしかしていません。強いチームでラグビーをするために行きましたし当然ですよね。最終的にレギュラーにはなれず、最後の全国大会ではスタンドで応援していました。しかし、3年間必死でやりました。僕は高校からラグビーを始め、周りのチームメイトは、みんな中学で大阪府の代表になっているような選手ばかりです。後輩にも現在ラグビーのトップリーグで活躍しているような選手がゴロゴロいる中で、3年間レギュラーを目指して1度も諦めずにやり抜きました。片親で私学に行かせてくれた母親には本当に感謝ですが、そこでの3年間でかけがえのない経験です。。全国優勝を本気で目指しているチームに3年間在籍する、なかなかできる経験ではありません。そこでの練習は、基礎練習がほとんどです。毎日毎日基礎練習を繰り返します。やはり結果を出すためには当たり前のことを誰よりも出来ることが重要なのだと教えられました。

整骨院での修業時代:

整骨院での修業時代では、整骨院の先生としての基礎をつくって頂きました。そして、2院目の整骨院で治療家としての基礎を徹底的に経験させて頂きました。上述しましたが、本当にそこでの経験が治療としての基礎です。治療の考え方、どこまで患者様を大きく捉えられるか、良く言われた言葉は「 症状を治そうとするな、その人を治そうとしろ 」です。その時は正直分かりませんでした。しかし、今となってはなんとなく分かります。同じ症状でも、その患者さんにとって状況なり・環境なりはまったく違うものです。おそらく、そういった意味を込めて症状だけをみるのではなく、その人の背景も含めた中で今ある症状を治そうとしなければ治らないという事を言いたかったのだと自分勝手に思っています。ですので、その人がどんな1日を過ごしていて、その人の状況や環境・家族構成まで考慮して、出ている症状をみていくという考え方を学びました。

独立後:

僕の人生の本当の挑戦は、独立後から始まりました。「 良い物を、必要な人に届ける 」このシンプルな事が本当に難しいです。色々難しく考えてしまします。しかし、問題・課題はシンプルだったりするものです。伝えたいことがあります。提供したいものがあります。それが必要な方に届くように、やるべきことをコツコツと、1つずつ、飛び級せずにやっていきます。僕には、それを教えてくれる仲間がいます。師匠がいます。やります。

 

これからどうしていくのか?④これからどうしていくのか?

これからの展望は、一生健康に病気知らずで長生きする方法やカラダの作り方を地域の人にもっと知ってほしいです。その活動・普及を絶対に自分から動いて実行・発信していきます。それと同時に今習っている治療技術や考え方が素晴らしいので、それを広めていきたいです。そして、最終的には、治療家として、医療人として、大きなチームをつくって日本の健康寿命やイキイキとした人生の創出にお役立ちします。

 

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